伊右衛門と女の子とナンパと

伊右衛門がナンパなどで女の子と知り合っておせっせしたり、負けたりしたことを綴るブログです。

即に限りなく近い準即からの方向性

 

かの有名なチバさんが「準即に限りなく近い即」というのが存在すると言っていた。

 

 

その反対の「即に限りなく近い準即」というのも当然存在する。

 

前者と比較するとその数は多く、体験されている方もまた多いだろう。

それを言葉として意識するしないはあるにしろナンパではよくあることだ。

 

 

そんな「即に限りなく近い準即」を体験し、方向性をなんとなく掴んだのでアウトプウト。

 

 

 

某日。遠方で旧友との飲み会を終え、Uに降り立ったのは23:45であった。

多くの電車が終電をそろそろ迎えようとする時間であり、短期決戦を要する覚悟で挑む。何も起きなければ僕自身も自らの終電で帰ろうと。

 

 

軽く友人のメンタルと合流し話をしつつ、声掛けするが気付いたらメンタルとずっと話をしてしまっていた。笑

 

メンタルが声掛けしたので、自分も行こうと思いターゲットを探すと、冬っぽい素敵なコートを着ている女性がを発見。

なんとなくいい雰囲気を感じる。

 

 

 

セオリー通り、1メートルほど追い越し、1.5メートルほど距離を取り斜め前から声掛け。

 

 

「そのコートの色合いほんまに素敵ですね。その何色か形容しがたい色合いほんまにいい。白とも紫ともベージュともなんとも言えない色合い。何色なんですか?その色は一体」

 

 

 

なんとかオープンし、平行トーク上記のような適当トークを繰り広げ、1時に知人と待ち合わせをしている彼女を形式グダはあったが、しれっとカラオケへ連れ出す。

この時点で0:15。30分でカラオケで弾丸即を目指す。

 

 

カラオケでは若干距離を取られるものも、大胆な打診を繰り返し、手つなぎ、ハグ、キス、Dキスと通していく。

 

 

 

しかし、胸を触るとグダが起こる。何とか通すも10分前のアナウンス。しかも満室のため延長もできない。

 

 

だが、見つめあうと照れる。言葉では抵抗するもこちらのアクションに従うなど明らかに食いつきを感じるので、準即に回すのではなく即を狙いにいくことにした。

 

 

 

知人との約束を反故し、僕と過ごすことを提案すると、悩みながらも約束は守らないといけないとこれは通らず即は望めないことに。

 

 

 

カラオケを出てからもし知人と早めに解散したあと暇なら、TELしてと伝え、さらに明日の夜なら遊んでやっていいと伝えその日は解散した。

 

 

 

 

結局、TELは来ず、改めて翌日会うことになった。

約束を守ると彼女は言った手前、翌日きちんと来た。

 

 

そのまま直接ホテルへインし、ノーグダでゲットした。

 

 

彼女をゲットできた理由はスピード感だった。

一晩寝たが、24時間以内にアポ組みし、そのままの勢いでゲットした。

 

恐らく日が先であれば彼女と再び会うことはなかった気がする。

 

 

 

彼女と過ごすのは楽しかった。僕の適当トークにケラケラと笑い、内容のある話はしなかった。後は見つめあい、求め合うだけだった。

そしてピロートークもバッチリ楽しく、エロく、そして圧倒的に笑顔だ。

 

 

それが心地良い。僕にとって気が合うというのはそういうことなのだ。

思えば今までで一番心地良いと感じた元カノともそういう雰囲気、関係だった。

 

 

端から見れば全く健全でない関係が僕にとってはとても心地よく健全なのだ。

 

 

 

ゲットした後、彼女は元々帰りたいと言っていた時間を過ぎても僕の傍にいた。

一緒にご飯を食べ、初めて意味のある中身のある会話をした。

 

 

 

さらに彼女のことを知りたくなった。

もっと一緒にいたいと思った。

 

 

 

だから解散するとき

「また遊んでやってもいいよ」

と憎まれ口をたたいて解散した。

 

 

 

彼女はいわゆる即系で、即に限りなく近い準即という形だからゲットできたと思う。

だが、即系が果たしていけないのだろうか。

 

即系とはだれにとっても即系なのか?

即系を即系にするのはその男の力量なのでないだろうか?

その後魅了することはないのだろうか?

 

そんなことも感じる。

 

 

 

この準即からみえたのは、自分が魅了されるのは、居心地が良い(即後に眠くならずに延々とピロートークできる)ことなのだろうな~と感じた。

 

 

 

無理に生きる必要はなく、流れるように生きてそれで一緒に過ごしたいと思った相手と一緒にいればいいんだと。

今更になって当たり前のことに気付かされた。

 

 

これが正しいか正しくないか、以前くだした判断と相違しているのかは今は自分にはわからない。

 

 

 

 

けれど今現時点では、流れるように生きていこうと思った。